闘病記 覚え書き

昨年中、体調不良を訴えていたのだが、ついにというか、やはりというか、くるべきものがやってきた。
平成24年12月2日から発熱と激しい頭痛に襲われた。
しばらく、無理をして仕事をしていたが、38度の熱が持続するようになり、それでも仕事をしていたのだが、週末の二日を欠勤した。その土曜日に、近くの病院へ入院した。なんとか歩いて病院へたどり着き、入院をしたのだが、その後の記憶がない。でも、この3日間に何をしたのかも、今は覚えていない。
気がついたら、某大学病院のICUのベッドの上で寝ていた。
妻に聞くと、3日間眠らされていたのだと。
当然、挿管され人工呼吸器がつけられていたとのことであった。
モニター、膀胱バルーン、点滴ルートが体に張り付いていた。
翌日、神経科内科病棟に転棟させられ、個室での生活となったが
2週間はベッドからはなれることができず、トイレにも歩行することができず、排泄はすべてポータブルトイレであった。はじめの数日は、食事をとると直ちに嘔吐を繰り返すという、惨めな状態であった。
正月を越して、でも、37度後半の発熱は持続しており、歩行は歩行器を用いての移動が可能となったものの、廊下を歩く気には全くなれなかった。
1月半ばになり36度台の体温になり幾分気分の優れた日を過ごせるようになった。体温は正直であると実感した。
長い間の入院は嫌なので、といっても既に一ヶ月以上経過していたのだが、1月21日、ようやく家に戻った。
自宅療養できるようになったものの、朝起きてから、夕刻までのあいだ、こたつの中で一日中寝ているか、座ってテレビを聞き流すかの生活が2月半ばまで続いた。この頃から、近所の散歩が日課となったが、数分の歩行でふらつきが生じてよろよろしながら家までの長い道のりをタツムリのごとくゆるゆると進む、、そんな運動しかできなかった。
長期に欠勤する訳もいかず、、といっても二ヶ月以上欠勤している訳であるが、3月1日から職場復帰した。
職場に戻れば、こんな体でも、手仕事はしなければならず、、、、職場の方々からはもう大丈夫ですか?なんて声をかけられるのだが、どうにもならない体を無理矢理動かして仕事をしているのをどう伝えていいのやら。返事に困ったのを未だに覚えている。3月中は手仕事日には他の職場から応援があり、無理をすることもなくなんとかやり過ごすことができた。
4月1日からは転勤があり、新しいスタッフを迎えることとなった。と、同時に応援の手は遠のいていった。。。
例年4月は手仕事が少ないのだが、今年は、きちんと予定が埋まるような状況となり、病んだ体には、少々厳しい状況が続いたが、新しいスタッフの献身的な仕事で、手仕事のみに集中していれば良かったので、なんとか乗り切ることができた。
5月に入ると、緊急の手仕事が入るようになり、定期の仕事をこなすのがやっとの状態である自分には、かなり負担がかかるようになった。手仕事後には、ベッドの上で10分くらい寝ることがルーチンとなったのも5月半ばからのことである。4月最後頃には、30分くらいの散歩が可能であったのだが、この頃は散歩もつらくなり、動かない毎日が続いた。
どうやら、5月でかなり降り戻しているのが分かるのが、つらい、情けない、今の職場で良いのか????自問自答しているというのが正直なところである。
自分のブログを見直していると、昨年の今頃、金環日食があったのを思い出して、時間の過ぎ行く早さに恐れ戦いている。さあ。これからどうなることやら??
最近の気になる症状を
手の浮腫とそれに伴う知覚低下 食器、箸を落とす
疲れがたまってくると頭痛が時にあり、一瞬、画面が乱れる(コンピューター画面がグラフィックメモリーエラー時に見せる画面半分がギザギさに流れるやつといえば、分かる人には分かるかな?)
気分は鬱である。
元気な人を見ると 面白くなくなる。。。。。



今日は天気がよかったので、自転車で散歩を試みた。
マウンテンバイク、軽いギアでユルユルと定番コースを進んだが、少し走ってギブアップして帰ってきた。まあ、こんなもんだなあ。。。