MOTTAINAI 春分の日に

MOTTAINAIキャンペーン って・・・・

 
「もったいない」ということば、教えてくれたのは おばあちゃんだった。
幼稚園のころ、茶碗のご飯粒は一粒も残さないようにうるさく教えられた。
何でも捨てる前には一度押し入れに整理して戻しておいて、後日点検して使用していた。
何でも修理して、壊れていても不便そうに何とか使おうとしていた。
一寸傷んだミカンを捨てようとして、昔は腐りかけのミカンが唯一家で食べられるミカンだったんだと、叱るでもなく話してくれた。
どんなときでも、おとなしくて、静かで、身体は小さかったが気持ちは大きかったように思う。
毎日一緒に生活をしながらそばで観ながら、もったいないをおそわった。
もったいないを生活信条として20歳までは生きていた僕・・・
お礼も言わずに、不満ばかりをぶつけていた若かった頃の僕・・・
心の片隅では、もったいないの気持ちを教わったお礼が言いたかったのだが・・・・・
ある日突然、病気で倒れてしまった。学生実習で忙しくしていた頃だった。見舞いも余り行かなかった。
そして、何も言わずに亡くなった。。。。。
ああ、もったいない・・・・ 
母親からも教えられたようにも思うが、おばあちゃんから教わった概念である。
でも、忘れてしまっているなあ。
忘れてしまうなんて なんて「もったいない」事だ。
 
要らないものばかりが、僕の周囲には存在している。
本当に必要なものだけにすると、一体、どれだけ生活が身軽になるのだろう。
 
家族が粗食で良いから三食食っていけるだけの生活費。
毎日の情報源としての新聞。テレビ、インターネットは不要。
ラジオで情報の入手は事足りる。
毎日の読書を支える、図書購入費(大概は図書館で借りる事が出来るだろう)
移動は自転車と公共機関を利用。たまにタクシーで高齢の母親を送り迎えする。
 
いくらの収入があれば、この生活は維持できるのか??
僕たちは一体、いくらの収入を欲しているのか???
限度を超した生活は もったいないを通り越して ホリエモン状態を周りに引き起こしてくる・・・。。
 
何をどの程度、どうすれば最適なのか??良く解らないのだが。
不便を少々感じるくらいがちょうど良いのではないのか。
少々の程度がどの程度かも問題かも知れない。
言い出せばキリがないが。
 
テレビとかネットとか漫然とした仕事とかで、無駄な時間をつぶさないでモット足を地につけた知恵を身につけるべく勉強をする必要があるように思う。
これは、自分に欠如していることであって、他の多くの人は、真剣に毎日生きているのかと思うけれども。。。
 
今年はもう少し勉強します。学習ではなくて、勉強です。
4月はもうすぐそこにある。
卒業式、入学式。卒業、進学。。。。。。。。
 
今日は 春分の日 日当直の無駄に食うための仕事の日  
 おばあちゃんに明日会いに行ってきます・・・・
 


MOTTAINAI hone http://www.mottainai.info/
WIKIPEDIA English http://en.wikipedia.org/wiki/Mottainai
WIKIPEDIA Japanese http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84
 
最後に一言 
 もったいないは 個人で実践するべき事である。
 社会活動としてキャンペーンを張るのは 如何なものか???と、思う私は古い人間なのかなあ。