もし 徳島のそごう百貨店がなくなったら・・・

最近 格差社会のことが目立つ。グローバルスタンダードという心地よい響きに騙されて、世間が一斉に突き進んできた道だが、詰まるところ日本人の時間当たりの収入がグローバルスタンダード化した(新興国並みに低下した)だけの結果になってしまった。大都市と地方都市の格差は明らかで、地方には何もかも無くなってきている。徳島の田舎でも一寸しゃれたお買い物をするときには、誰も彼もが関西圏まで出かけてそんなに立派でもないものをそこそこのお金を払ってまでして購入する時代になってしまった。さらにネットでお買い物をするのは確かに便利で動かなくて済むので田舎では確かに便利である。その結果、地元での買い物をしなくなって地方の小売店は皆、店じまいを余儀なくされている。跡継ぎも誰も買ってくれないお店を継ごうとはしないのは当たり前か。
一寸考えると、少々高くても、購入して故障など不具合があれば隣近所の店で対応して頂けることに気づかなければならない。徳島県知事が打倒東京なんかを叫んでも竹槍でロケットを打ち落とそうとするようなものだ。地道に地元でお買い物をしようキャンペーンを張るべきなのになと思うのは馬鹿な私だけなのでしょうか。
自分の職業を考えてみても、都会の有名病院で治療(手術)を受けてきた方々がその後の合併症で受診しているのは名もない地方の小病院である。何回も緊急手仕事をさせて頂いているので、よくわかる。もっと地方、田舎、地元の人間を信用して頂いて治療をさせてほしいものだと思うのだけれど、これを他の業種に変えても同じ事なのだろうと思ってしまう。
あと数年すれば、徳島駅前のそごうもなくなってしまうのだろうなと勝手に想像してしまうのだが、そうなると駅前の景観は如何様になってしまうのだろうか?都会から帰ってくるバスから駅前を眺めながらそんな事を思ってしまった。
でも、あたりやの大判焼きは無くなってほしくないなあ。